生きていると良いことも悪いことも起こりますよね。
ライフステージによって人の悩みや起きる事象はさまざまですが、家族が急に入院することになった時にやたらと仕事が忙しかったりと、タイミングの神様に見放されているような気持ちになることも。
「なんて日だ!by小峠英二」と叫びたくなるほどに、目の前のタスクを順番にこなしていくだけで精一杯で泣きそうになることもあるのですが、そんな時でも、いや、どんな時でも、ボクはボクの道を行くのですよとばかりに、マイペースに暮らす愛ブヒの存在の大きさたるや。
フレブルと暮らす人ならわかるかと思いますが、彼らには絶大な「前向き効果」があるのです。
自分で勝手に散歩にも行けなければご飯も食べられないフレブルにとって、必ず必要なのが人の手。
そのため忙しさを言い訳に放っておくなんてことはできず、側から見れば目一杯のスケジュールの中に「愛犬のお世話」が入るだけで、余計にしんどいのではないか? と思われるかもしれません。
ところが不思議と、決まった時間にご飯をあげ、散歩に行き、ブラッシングなどのケアをすることで、いわば息抜きの時間を得ているように思うんです。
肉体的にも精神的にも忙しい時、通常だと自分の時間を取る余裕なんてなくなるものですが、いつもと同じように愛ブヒのお世話をすることで、それがいい具合に自分の時間にもなっている。
体温のある存在との触れ合いや、散歩で見上げる空の色など、ありきたりな日常が自分を「いつもの人生」に引き戻してくれる、そんな気がします。

よく犬の癒やし効果についての記事を目にしますが、実際にフレブルと暮らしてみて日々体感しているのは、「癒やされる」というよりも「日常に連れ戻される」という感覚。
もちろん、まあるくむっちりとした体や好奇心いっぱいに瞳を輝かせている顔を見ているだけでも自然と笑顔になっちゃうのですが、本当にありがたいなと思う部分は、また別のところ。
例えばこちらがどれだけ落ち込んでいても、どれだけ忙しくても、朝と夕方になれば「まだなの?」とばかりにご飯を待っているし、時間がくれば散歩に連れて行けとうずうずし始める。
それはもうすがすがしいほどに、こちらの事情などお構いなし(笑)。
人は悩みごとがあるとついそのことばかり考えてしまいがちですが、犬と暮らしていると強制的に意識が外へ向きます。
リードを携えて外へ出れば風の匂いがして、季節が変わっていることに気づく。信号待ちの間には空を見上げるし、道端の花が咲いていることにも目が留まる。
特にフレブルと一緒だと、その個性的な姿に声をかけてくれる人も多く、代わり映えのない日常のなかにも色々な発見や出会いがあり、この子たちがいるからこそ生まれる小さな出来事の積み重ねが、気づけば私の日常を動かし、人生を前へ進めてくれているのかもしれません。
もちろん、フレブルは人生の問題を解決してくれるわけではありません。
仕事も代わりにしてくれないし、悩みを聞いて的確なアドバイスをくれるわけでもない(もしくれたとしてもなんとかなるさ〜、的な意見の気がしますが)。
それでも、どんな日にも変わらずご飯を食べて、散歩をして、気持ちよさそうに昼寝をする。
その姿を見ていると、「まあ、とりあえず今日は今日として、肩の力を抜いて生きるか」と自然と思えるのです。

だから私にとってフレブルは癒やしというより、人生の特効薬みたいなもの。劇的に効くわけではないけれど、気づけばちゃんと効いている。
副作用は少々散歩が増えることと、家中が抜け毛だらけになることくらいでしょうか。
フレブルという「命」と暮らすにはどうしたって責任が生まれます。
時や場所、タイミングを選ばず、いつだって守るべき存在が目の前にいること。
だから多少のしんどさを跳ね除けて、まずは自分がしっかり立っていなくてはと思わせてくれる。
こう考えてみれば、一見こちらがリードをコントロールしているようで、実のところは私たちの日々を前へ前へと引っ張っていってくれているんだな、と感じます。
今日もご飯を食べて、散歩をして、昼寝をして。また明日も同じ一日がやってくる。
そんな変わらない毎日を一緒に積み重ねてくれる存在がいること。それこそが、人生に効く一番やさしい特効薬なのかもしれません。
楽しい日には一緒に喜び、しんどい日には変わらない日常を差し出してくれる。
特別なことは何ひとつしていないのに、気づけば人生の大事な場面にはいつも寄り添ってくれているから。
だから今日も、まあるい背中を眺めながら思うのです。
もしフレブルが人生の特効薬だとしたら、その効能はきっと「ちゃんと今日を生きること」。そんな気がしています。